修羅場まとめの殿堂~離婚・復讐・不倫・浮気まとめ~

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    記憶

    626 :殿堂 2018/08/29(水) 00:35:39 0.net
    ふふ
    義母に余命宣告出たど

    69 :殿堂 2005/07/03(日) 14:17:51 ID:9kg+9uT2
    7月7日が近くなるといつも思い出す。

    ウチの地元には、七夕に「七夕まんじゅう」という
    黒糖薄皮こしあんぎっしりのまんじゅうを食べる習慣がある。
    漏れの大好物でもある。
    で、当時小学生だった漏れ、夕方の習い事に行く前に
    大好きな七夕まんじゅうを軽食代わりに食べようとしていた。
    一口ぱくり。もきゅもきゅ。
    そこに寄ってきた飼い犬、雑種で特に賢かったわけでもない愛犬。
    やつが「くれー」という目をしていたのでちょっとちぎって差し出した。
    ぱく。
    やつはためらうことなく食いついた。
    指しだした手と反対側の、でっかい方の固まりに。

    …なつかしくも忌まわしくものろわしい幼き日の記憶でした。

    393 :殿堂 2020/01/07(火) 20:30:49 ID:Jo.nj.L2
    長文なので2つに分けます。
    長文嫌いな方はスルーしてください。

    私は父に褒められた記憶がほとんどない。

    勉強に関して父は
    「勉強しようとしなかろうと、その結果は全部自分の身にふりかかってくることなので自己責任」
    というスタンスだったので勉強しろとか成績悪くて叱られたこともないけど、どんなにテストの点数や通知表が良くても褒められなかったし
    なんなら結果を知らせなくても何も言われなかった。
    中学の時どうしても欲しいものがあって「次の期末テストで学年●位以内だったら買ってほしい」と頼んだら
    「君の点数が良くてお父さんになんのメリットがあるの?」と鼻で笑いながら却下された。

    勉強以外でも、私が小学生の時父の誕生日に夕食を作ることを計画して、サプライズしたかったから当日は「今日は何時に帰ってくるの?」「絶対にまっすぐ帰ってきてね!」と念押しして
    帰宅予定時間に合わせて肉じゃが、炊き込みご飯、味噌汁、あとなんか副菜を作って待ってたんだけど、父は予定時刻を過ぎても帰ってこないし連絡もなかった。
    なのでこちらからケータイに電話すると、知人宅で飲んでると言う。
    数時間後に帰宅した父は「もう知人宅で飲み食いしちゃったから」と、食事に殆ど手をつけてくれなかった。
    父は毎晩ウィスキーで晩酌するからと誕生日にいいウィスキーをあげた時は「●●(他社メーカー)のやつなら同じ値段でもっとたくさん入ってるのに」と言われた。

    姉妹間差別もあって、私にはやれと言った面倒事を姉にはやらせなかったり、自宅で父のものではない煙草の吸い殻が見つかって姉も私も(当時は両者未成年)自分じゃないと否定したのに私だけ疑われたり
    姉が部活の大会で二泊三日の遠征をすることになった時には全額自腹で父も同行したのに
    私が部活のコンクールで応募した作品が入選して、日帰りで遠方で開かれる授賞式に出席したいと頼んだ時は、私一人分の往復の新幹線代すら出してくれなかった。
    補足しとくと姉はそれに乗っかって私を虐げたりしなかったし、父は姉にも酷いことをする時があったので私も姉も成長するにつれ父に違和感を覚えていき
    父は私達の誕生日に欲しいものを指定すれば買ってはくれるものの他(ごちそうとかケーキとか)は何もしてくれなかったので、姉と私はお互いの誕生日にはプレゼントを贈り合った他に
    私の誕生日には姉が私の好きなケーキを買ってきてくれて、姉の誕生日には私がリクエストされたケーキを焼いたりして姉妹仲は良かったし、少なくとも私は姉が好き。

    502 :殿堂 2010/09/05(日) 20:10:53 0
    424商店さんの

    >「男は感情的な女とは話したくないもの」 
    >「お前が冷静にならない限り帰ってあげられないな~」 

    この発言を読んで記憶が甦った。
    以下今から10年以上前の話。相手は元夫。

    元夫も同じく結婚前までは自分の親の悪口言いまくりな人だった。
    そのくせ実家から出たことは一度もない。
    結婚後も、やたらと義実家へ行きたがる。
    それはもう週に4度も5度も。

    元夫は「ウチの母さんが連れてこい連れてこいってうるさいんだよ。
    お前だって母さんがしつこいことは知ってるだろ?」
    って、俺のために我慢してよ、みたいな口ぶり。
    私が買ってきた食材はどんどん無駄になるし
    夫が帰宅前に作っておいた食事もいっさい食べない。

    135 :殿堂 2020/08/07(金) 07:25:43 ID:bZ.kr.L1
    私たち夫婦が自力で買ったもの以外全部旦那親の手柄になってた。
    引越し祝いで買ってもらった家具や子供の誕生日プレゼントの玩具とか
    本当は私の親が買ってくれたものなんだけど全部旦那の記憶がすり変わってた。
    「今日は子供がこのおもちゃで沢山遊んでた(私の母から貰った玩具)」→「ああ、親父が買ってくれたやつな。次会ったらじいちゃんに改めてお礼言おうなー」
    「この家具は気に入ってるからきちんと手入れしていかないと(夫と父と3人で買いに行って選んで私の父に払ってもらった)」→「母ちゃんのセンスは間違いなかったな!高いのに有難いよな!(勝手に義母が選んで送ってくれたことになってる?)」
    万事がこの調子。
    義実家が何もしてくれない訳では無くて、
    私と好みが合わなかったら困るという義母の気遣いで
    何か贈ってくれる時は食べ物とか消耗品にしてくれてるから形に残らないだけ。
    それらは普通に義母から貰ったものとしてインプットされてるらしいんだけど
    私親からの物だけを選んだ時の思い出ごとすり替えてるらしい。
    だからって私親が何もしてくれないってことを言う訳じゃなく、
    ただ全てのお礼を義実家に向けようとするだけ。
    貰った直後は正しく把握してるからお礼も私親にしてるんだけど、時間が経つとこう。
    都度訂正するから夫婦感の話で治まってるけど実際凄く失礼な話だし何故そうなるのか不思議でならない

    480 :殿堂 2013/06/07(金) 16:18:31 0
    昔の事でも大丈夫かな?

    自分が修羅場だと思うのは中学生の時。
    夕方、塾の帰り道で金髪のケバい母親らしき女と大人しそうな女の子が、信号近くにも関わらず信号がない所で道を渡ろうとしてて
    それを危ないと思いながら見ていたらそれなりにスピードがあるトラックが黄色信号でやってきた。

    そんな時に女の子だけが道を渡ろうとするから、思わず危ないって叫びながら近付いた。

    でも隣にいる母親らしきケバい女はそんな女の子を止めようとせず眺めてただけだったから、自分しか女の子を止めに行く人がいなくて、そのまま女の子の腕を掴んだら俺が轢かれてしまった。

    それから気付いたら自分は病院にいたんだけど、両親が泣きながら側に居たのをよく覚えてる。


    で、怪我というか後遺症が残ってしまう事と、トラックの運転手が酒を飲んでいた事と、女の子は無傷だったことを母親が泣きながら教えてくれ
    父親は無茶な事はするなと叱ってくれたが女の子を助けた事は誉めてくれた。

    まだ学生だったからトラックの運転手がどうなったとか治療費がどうなるか知らなかったけど、それなりに治療費を貰う事になったらしくて。

    後日女の子と一緒に訪ねてきたケバい母親がそれを寄越せとやってきた。

    自分も両親も助けてくれてありがとうでもいいにきたと思っていたから、寄越せと言われた時には驚いたんだけど
    それ以上に驚いたことは、母親が当たり屋をしようとしていたのにと自爆した時。

    だから俺に、なんで助けたんだ!娘が轢かれてたらたんまり慰謝料を貰えたのに!と。

    それには両親はもちろん自分も怒ったんだけど、俯いてる女の子が無表情で泣いてて見てるのが辛かった。

    176 :殿堂 2012/10/04(木) 03:28:07 O
    トメに階段から突き落とされて流産した

    悲しくて悔しくて、それでも頑張ろうって決めて帰ったら「お前のせいで孫がタヒんだ。だからお前もタヒね」と突き飛ばされた
    その後記憶が飛び、気がついたら旦那が私を羽交い締めにしてた
    トメは鼻と頭から血を出してた。私の手には髪がゴッソリとあった


    旦那が泣きながら無理矢理でも別居すれば良かったって言ったけど、孫が出来れば大丈夫だよなんて甘く見てた私のせいだ
    それでも、我が子がタヒんだのはトメのせい

    引越しした日、浴室にリンスを垂らしてきたら、見事に転んで腰の骨を折った

    やりすぎかな?出来ればコ□したかったよ

    684 :殿堂 2017/01/16(月) 19:38:04 ID:6eZ
    娘が2歳のとき、街中で暴漢に襲われたことがある
    相手は知的な障害のある人だったんだけど、ふいに何かがスイッチになってパニックになったらしくて
    周りにたくさん人がいる中で、私の娘を標的に定めて襲ってきた
    とっさに娘を抱え込んで亀みたいな体勢になるのが精一杯だった
    結果的に私は肋骨と骨盤を骨折して内臓が一部破裂したけど、娘は服が汚れただけで済んだ
    精神的な傷が怖くてずっと経過を観察してきたけど、特に記憶にも残らなかったみたいで
    トラウマめいたこともなく、無事に成人してくれた

    それから20数年たって、娘が嫁いでいくことになった
    結婚前にお婿さんがうちに来て、お酒を飲みながら皆で娘の小さい頃の話なんかしてたんだけど
    娘が「小さい頃、お母さんに襲われたことがあったよね」って言い出してええってなった
    話を整理すると、
    ・デパートの前で大きなぬいぐるみを見てたらいきなりお母さんが抱きついてきた
    ・苦しくて離してって叫んでたのに離してくれなくてすごく怖かった
    ・お母さんの顔がすごく険しくて、かっと見開いた目が怖かった
    娘の見た光景は、確かに暴漢に襲われたときのものと一致してた

    これまで娘の傷を刺激してはいけないと思って当時のことは話したことがなかったんだけど
    まさかそういうふうに記憶していたとはorz
    真相を話したら驚いてたよw
    そのあと披露宴で、母への手紙でその話に触れて
    「私に子供ができたら、きっとお母さんみたいに命がけで子供を守れるような母親になります」
    って言ってくれて泣けたw

    すごく痛い思いをしたけど、今じゃ笑い話にできてよかった

    657 :殿堂 2017/08/05(土) 20:58:37 ID:yQ1+/ltU.net
    長文なので分けます

    夫が、私のしている家事や炊事、二人で交わした約束事を一切覚えてられない人だった
    結婚したら家を建てるという約束も「そんなこと言うわけがない!」と言い
    私が家事や炊事をしてるところを見たことがないと言う
    とにかく夫の記憶では家事も育児も
    すべて同居の姑と夫が賄ってきたことになってる
    バカな私はそこで張り合うのは大人気ないと聞き流していたが
    夫が本気でそう思ってることにやっと気づいて、色々思い当たることを調べてみた
    夫は15の時から飲酒してて毎日1~1.5升は飲む生活をしており、飲む量や頻度、手の震え、言動が全てアルコール依存症に基づいてた
    病院に務めてる姉も夫を見て「ありゃ依存症だな」と言ってたし
    本人も健康診断で医者にかかることを勧められたとか。
    アルコール依存症は忘れるのではなく「そもそも記憶に入らない」らしい
    自営の夫はほとんど1日中飲んで
    親の前では飲まない代わりに私の前でずっと飲んでるから
    私の事だけが記憶に「残らない」みたいみたいだった
    私を見て真顔で「お前は...誰だっ!」と叫んだこともある
    そして子供が自立するのを待ってやっと離婚話を出したけど夫には青天の霹靂
    何が原因か全く分からないと言う
    「何もしないお前を20何年も養ってやったのに、この仕打ちか?!」
    と本当に驚いた様子で責めるから
    「逆にそんな何もしない女を養う必要はないでしょう?」と返した
    (続きます)

    180 :殿堂 2019/11/28(木) 13:41:26
    母の元旦那が癌でタヒんだ、俺にとってはただのアル中DV毒親で悪意しか感じない男
    親族に乏しい男の遠縁から遺品整理の要請が掛かり母と暇な妹の3人でアパートに向かう
    嫌な事は力を合わせてさっさと済ませよう、くらいの動機
    アル中の印象と違い部屋は驚くほど片付いていた、と言うより物が少なすぎて散らかり様が無い
    迷う事なくあらゆる物をゴミ袋に放り込みあっという間に整理は終わった
    一息付いてウロついていると押し入れの枕棚にブリキのケースとアルバムを見つけた
    俺達兄妹の成長アルバムみたいだ、写真は母が贈ったのか?今さら気色悪い野郎だ
    ケースを開けると素っ気ない大学ノートが十数冊出て来た、男の日記の様だ
    時間があったのと他人のプライバシーを覗くと言う下世話な興味からなんとなく日記を読み始めた
    くたばる半年前辺りまで日々2,3行の簡素な内容がつづられている
    ふと思い立ち俺達と暮らしていた頃の日記を読んだ、そこに書かれていた事

    妹が産まれてしばらく経った頃、母はノイローゼ気味になり俺達(主に俺)に手を上げ始めた
    実家から遠く離れ頼る者無き状態が続いた
    ある時俺を叩いた母に激情して男は母を殴った、すると母のDVは収まり母子の関係は正常に戻った
    それ以来男は家に帰ると酒を煽り大声を出したり物に当たったりする様になった
    男を恐れて母子が安寧になるならそれで良い、母親に暴力を振るわれる地獄と比べたら粗暴な父親の方がずっと良い
    そんな生活が一年ほど続いたが、遠方から来た母父が荒れた部屋を見て男のDVを認知してしまう、そして離婚
    何度も家族に対する懺悔と苦悩が書き連ねられてた

    ずっと妙だと思ってた、ネットで読む毒親と違い俺は親父に殴られた記憶が無い、覚えてるのはただ大声を
    あげ物に当たってる姿だけ、そして子供の頃に時々見た親父が笑顔でベビーカーを押してくれる夢

    うちの家庭は俺が息子を叱ると嫁と息子が仲良くなって上手く廻る様だ、因果は巡ると言う奴か
    もうすぐ親父の10回忌なので記録まで

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