修羅場まとめの殿堂~離婚・復讐・不倫・浮気まとめ~

当サイト(修羅場まとめの殿堂)は修羅場・復讐・DQN返しを中心に話題になっている2chのスレをまとめております。

    母親

    320 :殿堂 2014/07/06(日) 22:39:59 ID:DaRCcr9wU
    ただ単に怖かった話だけど…
    ケータイからで改行がおかしい&文才無いので読みにくいかもしれませんが今さっきあったことを…
    私の妹が主に体験者です。

    私の父親は「マッ○のハンバーガーは毒物!」と毎日耳にタコができるように言う人。しかし、母親が「お父さん、今日ご飯いらないって言ってるから久々に○ック行っちゃおっか!」と言うので妹も含めて三人で行ってきた。

    駐車場に車を入れ、外に出ると店の窓側の四人席の所に一人だけ突っ伏している女性.がいて、妹が「泣いてるのかな?」と見ていたので私は「あまり食事中の人をジロジロ見るものじゃ無いよ。」と止めた。
    お店に入ると、母親は注文、私と妹は席を探した。私はソファみたいな柔らかい椅子が好きなので丁度空いてたソファと普通の椅子が一緒になった四人席に座った。しかし、妹が「○ちゃん(私)!こっちの席にしよう!」とソファ席とは壁で遮られた普通の椅子だけの四人席へと連れて行かれたので、理由を聞いてみると、

    「さっきの女の人…凄いこっちを睨んでたの…」

    私は片目だけかなりのド近眼なので、真っ向から(突っ伏したまま)睨まれていたのに気付かなかったらしい。
    その後、母親がハンバーガーを持ってきた時に報告すると「まさかぁw」と言われ、母親はナフキンを取りに女性.の席近くのトレー置き台の所まで行ってしまった。
    数秒後、母親の顔が恐怖で凍り付いてた。(某ホラー映画の目のようだったらしい。)

    100 :殿堂 2015/02/04(水) 00:46:55 ID:mKo
    後悔してもしつくせない私の修羅場

    昔4歳の頃、家のお風呂が壊れたので銭湯に行ってた
    4歳でもう一人でお風呂に入れるので、お気に入りの金魚とアヒルの玩具を持って、父や祖父と別れて女湯へ
    そこに私より少し背の小さい、言葉もたどたどしい子がいた
    その子は私のおもちゃに興味津々だったので、貸してあげた
    でもその子、左手の指が無かったんだ
    右手だけだとうまく2つの玩具が持てなくて、私が片方運んで洗面器に浮かべたりしてた

    家はどうせだから建て替えようという話になっていて、それから半年は銭湯に通い続けてたと思う
    時々左指の無い女の子とも会った
    その子の左手は指がある場所がぷっくり丸くなっていて、私はこの子は成長したら指が伸びてくるんだと信じて疑わなかった
    だから言っちゃったんだ
    ある日「私はなんで左指無いのかな」ということをたどたどしく聞くその子に
    「大きくなったら生えてくるよ」って
    その子は嬉しがってぴょんぴょん跳ね回った

    でも次にあった時、私とは目も合わせてくれなかった
    当然だよね、適当なことを言って期待させたんだから
    そして絶望のどん底に叩き落としたんだから
    その子は母親と祖母と銭湯に来てたんだけど、母親に涙目で怒鳴りつけられた
    あの子はやっと指を諦めたところだったんだ、それを期待させるようなことをして、と
    その後は話しかけても答えてくれなくて、母親も話しかけないでと強く言ってきたのでちゃんと謝ることもできなかった
    そうこうしてるうち、新しい家ができたので引っ越すことになった
    私は銭湯のおばちゃんに、その子と遊んだおもちゃと手紙を託した

    あれから20年たって記憶も風化して、その子の名前も思い出せない
    おかっぱ頭の笑顔が素敵なあの子
    あの時の手紙を受け取っていてくれたらなと思う

    29 :修羅場まとめの殿堂~離婚・復讐・不倫・浮気まとめ~ 2015/12/24(木) 07:37:32 ID:Np3kGNO10.net
    20年前に男と蒸発した母親が臓器よこせと言ってきたので復讐した。

    長いうえに恨みつらみを書き連ねています。

    気分を害される方もいらっしゃると思うので不快に感じる方はスルーしてください。
    文才はありません。説明不足な点や読みにくいと感じる点があったら流してください。

    母親が蒸発したとき、私は小学5年生だった。以来私と兄は父が再婚するまで父子家庭で育った。
    母親は蒸発する際に、置手紙一枚で私たち家族を捨てていったが有り金は持って行った。


    私の兄はもう亡くなったけど2コ上で、生まれつき心臓に爆弾を抱えていて母親が持ち逃げしたお金の中にはこの兄の手術にあてるべく貯めていたものも含まれていた。
    母親の親はクソ。母親が失踪した際に父や残された私たち兄妹にあらぬ罵倒を浴びせてくれたうえに、手術しなければ20まで生きられないと告知されていた兄に面と向かって「金食い虫の役立たず」と罵った外道。


    母が蒸発して生活が一変した。

    もともと父は高額な手術費用の捻出に日勤の正社員勤めが終わった後、夜勤でドカタをしていた。
    母親も正社員で働いていたけれど、蒸発した後に残業と称して毎日帰りが遅かったのは不倫していたからだとわかった。

    蒸発する前に、母親は会社を独立する資金と父をだまし連帯保証人にして借金をした。
    不倫していたとは知らず、専門職に就いていた母は口癖のように「独立して軌道に乗れば父に掛け持ちなんてさせなくて済む。このままじゃ身体を壊す」的なことを繰り返していたから、不倫相手と暮らすための資金を調達させられるとは父も考えていなかった。


    貯金ゼロで借金を背負い、兄の手術費用まで工面することになった父は身を粉にして働いた。手術費用は父が親戚中に土下座して借りてきたものの借りたお金には返済がついて回る。

    家にはいつもお金がなかった。

    422 :修羅場まとめの殿堂~離婚・復讐・不倫・浮気まとめ~ 2014/05/29(木) 22:30:22 ID:???
    今日あった事。
    ビックリし過ぎて未だに若干挙動不審。

    今日、夕方にスーパー行ったら、母がいた。
    (徒歩15分くらいの所に住んでる。)
    「こっちのスーパー来るなんて珍しいな~」とは思いつつ、
    「何買ってんの~?何かいるならメールしてくれれば買って行ったのに~」
    と近寄ったら。

    何か怪訝な顔してんの。
    そういや、母がこんな洋服着てるの見たことない。
    「もしや浮気相手と一緒か!?」とか家庭板脳炸裂しつつ、「どうしたの?」って声かけたら。

    「どちらさまでしょうか…」だって。
    よーーーく顔見たら知らない人だった。

    知らない人だった。って書いたけど、どう見ても母だった。
    週一で会ってる実の娘が、見間違うレベルで。
    見た目は99%母だったけど、声だけはちょっと違ったから引き下がった。

    「世の中には3人自分に似た人がいる」とは言うけど、同じ町内会?にいるとは…。
    母とその人がバッティングする事あるのかな。
    どういう気分になるんだろう。

    143 :殿堂 2006/01/26(木) 01:01:08
    嫁の許可なく、俺の母親が娘の髪を切った。
    これくらいで、怒り狂う嫁に正直ウンザリ。
    しかし、逃げられるのは困るなあ。

    804 :殿堂 2017/01/23(月) 06:06:11 ID:YgO
    式場勤務のときに経験した強烈な話

    色々フェイク入れるけど、新婦:55歳、新郎:25歳、って感じの年の差夫婦
    新郎さんは仕事が忙しくてほとんど打ち合わせに来なかったけど真面目な印象の人
    新婦は小奇麗な人で、40代って言っても通るような見た目
    「恥ずかしながらこの年で年下の夫と入籍し、年齢的にも式は挙げないつもりだったのだけど
    夫が初婚で親戚からの要請があったもので」と控えめに言ってくるような女性.だった

    新婦単独でドレス選びをやった数日後、新郎の採寸もやったんだけど、電車が遅延して新婦が遅刻した
    新郎と新婦が諸事情で別々のところに暮らしていて、式場までの交通手段が別っていうのは
    珍しいことじゃなかったから気にも留めなかった
    本来なら新婦の到着を待つところなんだけど、その日は予約がたくさん入ってたから
    新郎の許可をもらって採寸を始めた
    新郎がどんなタキシードがいいかなと言うので
    「先日奥様がお選びになったドレスをご覧になって参考になさいますか?」
    と声をかけたところ、「なんのこと?」と怪訝顔に

    新郎「妻が来たんですか?」
    私「今週の水曜日にお見えになりましたよ」
    新郎「妻はずっと入院していて来週退院なのですが・・・」

    お互い無言になった後、えええええとパニックにw
    詐欺か何か犯罪じゃないかということでお互いに情報を出し合ってみたところ
    「新婦」が「新郎実母」だということが判明
    もう本当にびっくりしたよー・・・

    261 :殿堂 2016/07/05(火) 13:12:12 ID:kOJ
    ただの愚痴です。無駄に長いのは許してほしい。
    私が子供の頃、父は早朝から仕事に行っていた。母は専業主婦。
    専業主婦と言ってもご飯はほぼ全部お惣菜や冷凍食品(メシマズだから)。
    朝ご飯はだいたい冷凍炒飯か冷凍ピラフ、それを食べると即外出。
    そして母に連れられパチ〇コに行っていた。
    母が行くのは比較的人の入りが少ないパチ〇コ店。
    母の座った台の隣が空いてたらそこに私も座る。
    空いていない時は母の後ろに立つ。
    たまに私を邪魔くさそうに押しのけたり蹴ったりする人がいて怖かった。
    当時は酷い人だと思ってたけどこんな所に子供がいる方が非常識だと今は思う。

    パチ〇コは日が暮れるまで続く。
    お昼ご飯はもちろん無い。
    喉が渇いたと母に訴えると百円貰える。
    小さい缶ジュースなら買えるのでそれで凌いだ。当然昼ご飯は無しだ。
    ごく稀に母が途中で席を外し板チョコを持ってきてくれた。
    景品の一つらしい。
    店に慣れてからは自分で板チョコに交換しに行っていた。

    勝った日は帰りにデパートに寄って母は高い買い物をした。
    自分だけの物だ。化粧品とか香水とか。
    私や父の物は一切無い。
    それでも母が嬉しそうだから私も嬉しかった。
    負けた時の母はとてつもなく怖いから、ニコニコしてる母を見て安心した。

    937 :殿堂 2012/09/11(火) 14:49:45 ID:RoqYcBW4
    小学校の頃(小二)、気が弱かったので、同性.である女の子からいじめにあっていた。
    持ち物を壊される、隠される、盗られる。
    そして愛用のランドセルが、2階から投げ落とされた。
    中に入っていた、筆箱が壊れたし、ランドセルにも傷がついたので、
    さすがに先生に言いつけたら
    「あなたが悪いから落とされたんでしょ?」
    「勝手に落とされた? 皆、そんなことしてな言ってるけど」
    「夢でもみてたんでしょ」「勘違いでしょ」
    「貴方が窓際に置いて、勝手に落としたんじゃないの?」
    と、相手にしてもらえなかった。
    担任は、いじめをするくらい元気な子が好きで、私みたいに教室の片隅で
    本を読んでいるような人が大嫌いだったのです。
    「あなたは、真面目すぎる。嘘を吐くくらいの子の方が、可愛げがある」

    真実が先生に否定されて、パニック。
    先生に相談しても助けてもらえないんだ! 
    という第1衝撃。

    こらえかねて、母親に言ったら
    「小学校な卒業できるし。いかなくていい」
    えっ、小学校って行かなくても卒業できるの!? という第2衝撃w

    というわけで、本当に1週間以上学校を休んだ。
    覚えてないけど、最終的には、校長と担任が頭を下げにきたらしい。

    376 :殿堂 2010/11/12(金) 09:50:32 0
    他スレの嫁入り道具云々の話で思い出した。

    結婚前の顔合わせでトメが両親の前で「結納のことだけど
    そちらに結納を差し上げてしまうと、おたくはその3倍額の箪笥を用意しないと
    いけないでしょ。そんなお金もねえ、出させるのも悪いですからねえ、結納は
    無しにしてあげようかと思うんですよ」
    と笑顔で言い出した。

    すると母が「お気遣い頂かなくても大丈夫ですよ。3倍の額分の
    箪笥を用意させようとする家は、その箪笥が入るような大きな家を
    息子夫婦に用意しておくのが常識なんですってねえ。
    娘の為にそこまでして下さってありがとうございます^^」

    トメ顔ひきつらせてた。
    因みに実家も義実家もどちらも平凡なサラリーマン家庭。
    結局、結納なんかもらったらあの姑に奴隷扱いされるよ。という母の
    意見で結納は無しになった。
    それでよかったと思ってる。

    714 :殿堂 2014/09/04(木) 17:22:53 0.net
    母が事故で急逝した時に日記のようなものを見つけてしまった時。

    日記(というよりやり場のない気持ちを書き殴っている感じ)の内容
    ・なぜだかわからないけど(私)の事が好きになれない、というか嫌い
    ・生んでしまったからにはきちんと育てなければいけない、嫌っていると気付かれてはいけない
    ・上の2人と態度が違うと嫌っているというのがわかってしまうので
    (私)にどこまで厳しくして良いかわからず
    つい(私)を甘やかしてしまっている気がする
    ・早く巣立って欲しい
    ・帰省が終わった、態度には出さなかったと思う。
    などなど

    ケンカもしたこともあるけど、普通の親子だと思っていた。
    風邪をひけば看病してくれて、金銭面でも差別されたこともなかったし、
    進路など相談に乗ってもらったこともあった。
    どこにでもいる母親だったと思う。
    私が結婚して家を出るまで邪険に扱われた事もなかった。
    結婚後もの帰省も里帰り出産もやさしく受け入れてくれた。
    母が亡くなってしまった今となっては真偽を確かめる事もできないけど、生きていたとしても
    確かめる勇気なんてなかったかもしれない。
    母のタヒ後抜け殻の様になってしまった父親が元気を取り戻した頃、
    「母がタヒぬ前に一度だけ意識を取り戻して、ノートを見つけたら読まずに捨ててほしいと言っていた
    何か心当たりはあるか」
    と聞いてきた。知らないとだけ答えた。

    日記を読んだ当時は1人で修羅場だった。

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