修羅場まとめの殿堂~離婚・復讐・不倫・浮気まとめ~

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    戦時中

    341 :殿堂 2014/02/27(木) 18:56:58 ID:nbNOJs00
    10人姉弟の6番目として戦中に生まれた母親は
    3歳で終戦を迎え、6歳で樺太から日本に引き揚げてきた
    奇跡的に一家全員が無事だったとはいえ日本での生活は苦しく
    母親は中学こそ何とか卒業したものの下の弟妹の世話や家の手伝いに追われ
    ほとんど勉強できなかったことに悔いを残していた
    その後美容師の資格を取り、結婚後も美容師として働いていたが
    俺が中学に入ると俺の教科書を借りて勉強を始めた
    勉強自体がおよそ20年ぶり、しかも頭の回転も記憶力も10代のようにはいかない
    それでも家事を終えた夜、一生懸命に教科書をめくりノートを取っていた
    当時の俺は部活一筋で自主的に机に向かうのはテスト前くらいだったが
    母親のそんな姿を見るうちに負けてらんねえみたいな謎のライバル心が湧き
    自然と勉強する時間が増えていった

    402 :殿堂 2015/11/25(水) 11:21:41 ID:XDn
    祖父の写真を見つけて、衝撃を受けた話。

    私の祖父はモダンな人で、戦前の農村でバイオリンを習うような優男(親戚談)だった。
    手先が細かく、カメラや時計の修理や裁縫なんかも得意だったそうで、変わった人だと言われていたらしい。
    背丈はあったがぜんそく持ちで、終戦間際まで徴兵を免れていたものの、村で一番の庄屋さんの長男が
    お国のために行かないなんて、と非難されて、泣く泣く出兵。
    手先が得意だからという理由で飛行機の整備をやらされたりしていたらしい。
    その後、南の島で自分の隊が全滅し、たまたま伝令に出ていた祖父だけ生き残って捕虜に。

    が、祖父はすごく社交的な人だったので、イギリス兵とすぐに仲良くなり、服を縫ってやる代わりに
    英語を教えてもらうようになった。
    もちろん当時は非国民!と罵る人もいたそうだけど、そのうち双方から認められて
    他の日本兵捕虜とイギリス兵の間の橋渡し役として活躍したのだそう。

    日本に帰還した兵士のほとんどが、ぼろぼろの軍服でうなだれて帰ってきたそうだが、
    祖父は別れ際にイギリス兵にもらった白に金ボタンの礼服wでさっそうと佐世保港に現れ、
    迎えに来た親族の度肝を抜いたそうだw


    この前の連休に帰省した時に、祖父と同じ収容所にいた人の身内からそんな祖父の思い出話を聞いて
    その後、蔵の掃除をしたら、終戦直後の祖父のアルバムが出てきた。
    アメリカ兵が乗るハーレーのサイドカーに祖父がちょこんと乗った写真とか、例の白い礼服を着た祖父の
    得意げな写真とか、アメリカ兵に混じってビリヤードをする祖父の写真とか・・・
    英語ができるということで、終戦直後にまた色々と人脈を作って可愛がってもらっていたらしい。
    ここまで書いたら本人特定されるかな?
    この写真テレビに出したらすごく受けそうだなぁと思ったw

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