お葬式
私とAは"ひきこもり"の縁で知り合った。当時、まだひきこもりについて理解がない時代で、その頃地元のテレビ局から取材を受けたのだけど
986 :殿堂 2016/02/20(土) 23:56:15 ID:7eU
先週、Aのお父さんのお葬式に行ってきた。
年上のAと私は、「ひきこもり」を通じて知り合った。
15年ほど前、メディアで「ひきこもり」が注目されていた時期があって、でも
そのころは「ひきこもり」の原因に病気や障碍などがある場合もあるということは
理解されなくて、まとめて「変わった人」「甘ったれたダメな人」扱いだった。
そのころ私は、今でも持っている内臓系の難病が、なぜか急に通学中に悪くなり、
ひどい痛みに苦しんだうえ気絶し、汚い話だけど電車の中で上からも下からも
ぶちまけてしまった、ということをきっかけに外出が怖くなって、
(周囲にヒソヒソされているようでどんどん外出範囲が狭くなった)
でも両親は精神科などは嫌がり、長引いて1年半余り引きこもり。
(おかしな話だけど、両親は私のことを「病気があるだけの健常な子」ということに
どうしても思い込みたくて、精神科受診したら「障碍者」となってしまうと思い込んでいた)
Aは、職場でのいじめ・パワハラで苦しみ、しかし昔気質のご両親が「辞める」ことを許さず
心が壊れてしまって2年ほど引きこもった。
ある時、地元のテレビ局から「地方における「ひきこもり」の難しさ」というテーマで
取材を受けた。最初は父が、途中から私も取材を受けるようになった。
女忄生の記者(違うかもしれない)さんは真面目で押しつけがなしくなく、
丁寧に私の話も聞いてくれた。
父もA父も、自分たち以外の家庭のことを知りたいと希望し、記者さんの協力で
最初は個人情報を伏せながら情報を交換、後には了解の上で直接交流するようになり、
私もAとメールのやり取りをし始めた。
記者さんは途中から来なくなったけれど、私父もA父も私たちへの対応が変わり、
私もAと交流する中で少し元気になって、通院しリハビリやカウンセリングを受け
先に私が、少し後にAも社会復帰できた。A父からは
「あなたの存在がAにも良い刺激になったと思う。どうかこれからも友人でいてほしい」
と感謝された。
年上のAと私は、「ひきこもり」を通じて知り合った。
15年ほど前、メディアで「ひきこもり」が注目されていた時期があって、でも
そのころは「ひきこもり」の原因に病気や障碍などがある場合もあるということは
理解されなくて、まとめて「変わった人」「甘ったれたダメな人」扱いだった。
そのころ私は、今でも持っている内臓系の難病が、なぜか急に通学中に悪くなり、
ひどい痛みに苦しんだうえ気絶し、汚い話だけど電車の中で上からも下からも
ぶちまけてしまった、ということをきっかけに外出が怖くなって、
(周囲にヒソヒソされているようでどんどん外出範囲が狭くなった)
でも両親は精神科などは嫌がり、長引いて1年半余り引きこもり。
(おかしな話だけど、両親は私のことを「病気があるだけの健常な子」ということに
どうしても思い込みたくて、精神科受診したら「障碍者」となってしまうと思い込んでいた)
Aは、職場でのいじめ・パワハラで苦しみ、しかし昔気質のご両親が「辞める」ことを許さず
心が壊れてしまって2年ほど引きこもった。
ある時、地元のテレビ局から「地方における「ひきこもり」の難しさ」というテーマで
取材を受けた。最初は父が、途中から私も取材を受けるようになった。
女忄生の記者(違うかもしれない)さんは真面目で押しつけがなしくなく、
丁寧に私の話も聞いてくれた。
父もA父も、自分たち以外の家庭のことを知りたいと希望し、記者さんの協力で
最初は個人情報を伏せながら情報を交換、後には了解の上で直接交流するようになり、
私もAとメールのやり取りをし始めた。
記者さんは途中から来なくなったけれど、私父もA父も私たちへの対応が変わり、
私もAと交流する中で少し元気になって、通院しリハビリやカウンセリングを受け
先に私が、少し後にAも社会復帰できた。A父からは
「あなたの存在がAにも良い刺激になったと思う。どうかこれからも友人でいてほしい」
と感謝された。